人と人の間に、言葉を置いてゆく。〜社内報の本質〜

社内報は、何のためにあるのだろう
社内報を長くつくり続けていると、ときどき考えることがあります。
社内報とは、いったい何のためにあるのだろう、と。
会社の情報を社員に伝えるため。
経営理念を浸透させるため。
社員同士のコミュニケーションを活性化するため。
エンゲージメントを高めるため。
どれも間違いではありません。実際、私たちが社内報をつくるときにも、こうした目的について考えます。けれど、最近、もっとシンプルな言葉で表せるのではないかと思うようになりました。それは、人と人の間に、言葉を置いてゆく。ということです。
もしかすると、社内報の本質は、そこにあるのではないかと思っています。
「伝える」と「置く」は、少し違う
会社から社員へ、情報を「伝える」。
経営者の考えを、社員へ「伝える」。
社員の活躍を、みんなへ「伝える」。
社内報では、よく「伝える」という言葉を使います。もちろん、伝えることは大切です。けれど、「伝える」という言葉には、どこか送り手と受け手がはっきり分かれている感じがあります。
伝える人がいて、受け取る人がいる。
発信する側がいて、読む側がいる。
一方で、「言葉を置く」と考えると、少し景色が変わります。
誰かと誰かの間に、そっと言葉を置いてみる。
その言葉を誰かが拾うかもしれない。
通り過ぎるかもしれない。
「自分も同じだ」と思うかもしれない。
「私はちょっと違うな」と感じるかもしれない。
あるいは、
「あの人は、どう思っているんだろう」
と、別の誰かのことを思い浮かべるかもしれません。
置いた言葉をどう受け取るかは、その人に委ねられています。そこから何が起きるのかも、完全にはコントロールできません。でも、人と人の間に何もなかったときと、そこに一つの言葉が置かれたあとでは、何かが少し違っている。私は、その小さな変化に社内報の面白さがあると思っています。
取材は、その人の中にある「まだ言葉になっていないもの」を探す
私たちは、社内報をつくるために多くの社員の方に取材をします。
「今、どんな仕事をしていますか?」
「仕事で大切にしていることは何ですか?」
「これまでで一番苦労したことは?」
最初は、ごく普通の質問から始まります。でも、話を聞いているうちに、その人自身も普段は意識していなかった言葉が出てくることがあります。
「ああ、そういえば、そんなことがありましたね」
「考えたことなかったですけど、言われてみれば……」
「自分は、そういうことを大事にしているのかもしれません」
そんな瞬間があります。私は、取材とは、その人がすでに持っている答えを聞き出すことだけではないと思っています。話しているうちに、その人自身が自分のことに気づく。まだ言葉になっていなかった思いや経験が、対話の中で少しずつ形になっていく。
取材する側と、される側。
質問する人と、答える人。
そんな単純な関係だけではなく、二人の間に生まれる対話によって、新しい言葉が見つかっていく。私にとって取材とは、その人の中にある、まだ言葉になっていないものを、一緒に見つけていくことなのかもしれません。
見つけた言葉を、人と人の間に置いてみる
取材で見つけた言葉を、今度は記事にします。ここにも、社内報をつくる私たちの役割があります。話したことを、そのまま文字にするだけではありません。
何を残すのか。
どの言葉を中心に置くのか。
どんな順番で届けるのか。
その人らしさが、どこに表れているのか。
それを考えながら、一つの記事をつくっていきます。そして完成した社内報が、社員のもとに届く。ある人がページをめくり、一人の社員の記事を読む。「へえ、この人、こんなことを考えていたんだ」と思う。それまで廊下ですれ違うだけだった人が、少し違って見える。次に会ったとき、「社内報、読みましたよ」と声をかける。
そこから、ほんの短い会話が始まる。その会話が、それだけで終わることもあるでしょう。でも、もしかすると、何か月か後に仕事で困ったとき、「そういえば、あの人に聞いてみよう」と思うかもしれない。そうやって、それまでつながっていなかった人と人が、少しずつつながっていく。社内報が人をつないだ、というよりも、人と人の間に置かれた言葉が、つながるきっかけになった。私は、そんなふうに考えています。
人は、知らない人には話しかけにくい
同じ会社で働いていても、私たちは意外とお互いのことを知りません。
名前は知っている。
顔も知っている。
どこの部署かも知っている。
でも、
どんなことを大切にしているのか。
どんな経験をしてきたのか。
何が得意なのか。
何に悩んでいるのか。
そこまでは知らない。知らない人には、なかなか声をかけにくいものです。でも、一つでもその人のことを知っていると、距離は少し縮まります。
趣味が同じだった。
同じ地域の出身だった。
実は同じような失敗をしていた。
仕事で同じことに悩んでいた。
そんな小さな共通点が一つあるだけで、人と人との間にあった見えない壁が、少し低くなることがあります。社内報の記事には、そんな小さな「接点」をつくる力があります。大きな組織改革ではありません。新しい制度でもありません。
ただ、「あの人のことを、少し知った」
という小さな変化です。
でも、組織の関係性は、案外そういう小さなことの積み重ねから変わっていくのではないでしょうか。
社内報は、答えを与えるものではなくてもいい
社内報をつくっていると、「この記事を読んで、社員にこうなってほしい」と考えることがあります。
会社をもっと好きになってほしい。
理念を理解してほしい。
仕事へのモチベーションを高めてほしい。
もちろん、そうした目的も大切です。でも、人の気持ちや行動は、そんなに簡単にコントロールできるものではありません。
「この記事を読んだから、明日からこう行動してください」
と言われても、人はなかなか動きません。
むしろ社内報にできるのは、答えを与えることではなく、考えるための言葉を置くことなのかもしれません。
誰かの経験を置く。
誰かの失敗を置く。
誰かの挑戦を置く。
誰かの迷いを置く。
誰かの「私はこう思う」を置く。
それを読んだ人が、どう感じるかは自由です。共感してもいい。違和感を持ってもいい。反対してもいい。大切なのは、そこから何かを考えたり、誰かと話したりするきっかけが生まれること。社内報がすべての答えを持つ必要はないのだと思います。
「人を動かす」のではなく、「間」に働きかける
企業では、よく「人をどう動かすか」ということが語られます。
どうすれば社員のモチベーションが上がるのか。
どうすれば主体的に動いてくれるのか。
どうすれば部署間の連携が良くなるのか。
でも、人を直接変えようとすると、どうしても「変える側」と「変えられる側」が生まれます。それよりも、社内報が働きかける場所は、人そのものではなく、「人と人の間」なのではないでしょうか。
上司と部下の間。
部署と部署の間。
経営者と社員の間。
ベテランと若手の間。
普段は交わることのない人と人の間。そこに、一つの言葉を置いてみる。すると、その言葉をきっかけに対話が生まれるかもしれない。
相手への見方が変わるかもしれない。
関係が少し変わるかもしれない。
そして、関係が変わることで、人の行動も自然に変わっていくかもしれない。社内報は、人を直接動かすのではなく、人と人の「間」に働きかけるメディアなのだと思います。
人と人の間に、言葉を置いてゆく
社内報の一冊一冊が、会社を劇的に変えるわけではありません。一つの記事を読んだからといって、翌日から組織が大きく変わるわけでもありません。でも、一つの言葉が、誰かの心に残ることがあります。その言葉が、別の誰かとの会話になることがあります。その会話から、相手への見方が変わることがあります。
見方が変わると、関係が変わる。
関係が変わると、行動が変わる。
そして、小さな行動の積み重ねが、いつか組織の空気を変えていく。だから、私たちにできることは、案外シンプルなのかもしれません。
誰かを思い通りに動かそうとするのではなく。
誰かに正しい答えを押しつけるのでもなく。
その人の中にある、まだ言葉になっていないものを見つける。丁寧に言葉にする。そして、人と人の間に、そっと置いてゆく。その言葉を誰かが拾い、また別の誰かに言葉を返す。そうして言葉が行き交ううちに、いつの間にか新しい関係が生まれ、新しい動きが始まっている。
それが、社内報の本質なのかもしれません。
人と人の間に、言葉を置いてゆく。
私はこれからも、そんな社内報をつくり続けていきたいと思っています。



