第131回 気まぐれ!メンズトークが放送されました!
第131回目のゲストは、総社市でぶどうづくりに挑み続ける、株式会社山雅ファブリカン 代表・山下雅章さん、そして宣伝部長の山下希さんです。岡山県で最初にシャインマスカットの栽培に取り組み、約30年にわたり“ぶどうの美味しさ”と“農業の未来”を追い求めてきた山雅ファブリカン。美味しいブドウづくりへの情熱や、次世代の担い手育成に込めた想いなど、熱いお話を伺いました。

■ 20歳で農業の道へ──山下雅章さんの原点
今回のゲスト、株式会社山雅(さんが)ファブリカン代表の山下雅章さんが農業を志した原点は、大阪で働いていた青年時代にありました。満員電車で見たサラリーマンの疲れ切った表情に、未来の自分を重ねることができず、「本当にこの道でいいのだろうか」という違和感が芽生えたと言います。その思いが“農業を変えたい”という挑戦心へと変わり、20歳で単身岡山へ移住。岡山県立農業大学へ通いながら、祖父の畑で技術を身につけていきました。
その頃に出会ったのが、今回ご出演いただいた宣伝部長・山下希さんです。希さんは、農業は厳しいという現実を知りながらも、夢を語り続ける雅章さんの姿に惹かれたと話してくれました。卒業と同時に結婚し、そのまま就農へ。1997年、まだ22歳の若さでぶどう農家として歩き始めました。
しかし現実は厳しいものでした。初年度の収入はわずか30万円。地域の中で“よそ者”として扱われる苦労や、ハウスを借りる際の約束違い、体力的にも精神的にも過酷な毎日が続きます。そして追い打ちをかけたのが、ハウスの換気ミスによる“ぶどう全滅”の出来事でした。祖父が水をかけながら「すまんのう」とつぶやく姿、赤い樹液が垂れる光景を見て、「ぶどうは命なんだ」と初めて実感したと振り返ります。この事件が、農業への向き合い方を大きく変えました。
ここからの3年間、ほぼ無収入の中で、小松菜や水菜の袋詰め、夜の工場バイトを続けながら、夫婦で苦難を乗り越えていくことになります。
■ 山雅ファブリカンの誕生──名前に込めた想いと挑戦の歴史
2014年、長い挑戦の末、「株式会社山雅ファブリカン」として法人化しました。「山雅」は雅章さんのお名前から。そして「ファブリカン」は、“つくる”だけでなく、“食べる人のひと口の時間まで想像する”という意味を込めた造語です。生産だけではなく、体験や感動まで届けたい――そんな願いが社名に込められています。
山雅ファブリカンは、岡山県で最初にシャインマスカットの栽培に挑戦した農家としても知られています。当時は誰もやっていなかった“未知の作物”。「誰もやっていないなら、俺がやる」という雅章さんらしい選択でした。
就農5年目には、電照栽培による4月出荷に成功し新聞にも掲載されます。しかし翌年には木が弱り不作に。「利益を追いすぎると良いものはできない」と痛感し、“美味しさ最優先”へと軸足を戻しました。その後も失敗や地域の慣習との葛藤が続きましたが、一つひとつ乗り越えながら品質向上に力を注いでいきました。
法人化以降は、研修生の育成や組織づくりにも注力しています。しかし、研修生が続かない、マンツーマン指導が難しいなど「会社だからこその壁」にも直面。それでも山下さんは、産地の未来のために若手の育成をやめませんでした。現在は生産者組合長として、独立後に使える畑や知識を提供する仕組みを整えています。
■ “人が辞めない農業”へ──今の取り組みと描く未来
数年前から、山雅ファブリカンは職場環境を大きく変え始めました。
テーマは 「人が辞めない農業」。
働く人の声を聞き、自由度の高い職場づくりへ舵を切ったのです。
・副業OK。
・家庭菜園をしたければ畑も貸す。
・機械作業に挑戦したい人には実際に任せる。
・子供の学校行事は最優先。
・午前だけ・午後だけなど、働き方の選択肢も増やしました。
さらに、技術を共有するためのマニュアルづくりや作業動画の制作も、スタッフ全員で協力して進めています。共有用のYouTubeアカウントまで作り、枝の管理や並木の整え方などを誰でも学べるようにしました。農業=個人作業というイメージを根底から覆し、“チーム農業”という新しいスタイルを築いています。
販売の展開も国内にとどまらず、台湾やタイ、マレーシア、マカオ、ドバイなど海外へ広がり、タイでは一房3万円で売れるほど評価されています。ロゴを模倣されるほど知られる存在になり、ブランドとしての価値も高まっています。
しかし山下さんが見つめる未来は、決して規模拡大ではありません。良い仲間と、良いものを、いつまでもつくり続けること。年齢を重ねても、みんなが楽しく働き、誰かの役に立てる喜びを感じられる農業。その“等身大の幸せ”こそが、山雅ファブリカンの未来を支える大切なビジョンなのだと話してくれました。
放送を通じて
今回の収録を通じて、山雅ファブリカンの歩みは挑戦と苦難の連続でありながら、一本の太い情熱が30年にわたり途切れることなく流れていることを強く感じました。夢を語る青年だった雅章さんが家族と仲間に支えられながら、今では“地域の農業をつくる側”になっている。その道のりは、農業の枠を超えて、多くの人に勇気と希望を与える物語だと思います。
――また次回の放送も、お楽しみに。

