第125回 気まぐれ!メンズトークが放送されました!

 第125回目のゲストは、民謡「下津井節」をはじめとする全国の民謡を唄い継ぎながら、地域文化の継承とまちづくりにも尽力されている民謡歌手の津本ゆかりさんです。
 歌と三味線の研鑽を重ねてきた津本さんの歩みと、民謡を未来へつなぐ想いについて、じっくりとお伺いしました。

 民謡で町に灯りをともす

 津本ゆかりさんが民謡の世界に飛び込んだのは、18歳のとき。高校卒業と同時に岡山県津山市から岡山市へ移り住み、生活と修行を両立しながら、下電バスのガイドとして働くかたわら、10年間にわたって歌と三味線の腕を磨いてこられました。

 そんな津本さんの転機となったのが、25歳のときに出場した「下津井節全国大会(第25回)」。見事優勝を果たし、その後も「祖谷の木挽き歌(徳島)」「鹿児島浜節(鹿児島)」など、全国各地の大会で優勝を重ねていきます。

 現在は、岡山を代表する民謡「下津井節」の正調を後世に伝えるべく、継承と普及活動に尽力されています。また、地域イベント「宵灯り」の実行委員長として、民謡を通じた町おこしや文化による地域の活性化にも力を注いでおられます。

「今しかない」想いを唄にのせて

 津本ゆかりさんが民謡の世界に足を踏み入れたのは、18歳のとき。高校を卒業してすぐに岡山へ移り、民謡の師匠に弟子入りされました。生活の糧を得るために下電バスのガイドとして働きながら、10年間、唄と三味線の修行に励んでこられました。

 そんな津本さんが最初に出会った唄が、「下津井節」でした。倉敷市下津井の港町で生まれたこの民謡は、漁師や船乗りたちが日々の仕事の中で口ずさんでいた労働唄です。素朴でありながらも、どこか情感と艶を感じさせる節回しが特徴で、津本さんは「最初に覚えた唄だったからこそ、自然と引き寄せられた」と振り返ります。

 下津井節は、歌詞や踊りの型に地域ごとの違いがあり、現在ではさまざまな振付が存在しています。その中で津本さんは、「最も古く、教えられるかたち」を大切にしながら、次の世代へと継承する活動に力を注いでいます。

 「今、歌える人が少なくなってきた。だからこそ、今しかない」。そうした思いを胸に、唄と踊りを地域とともに守り、育て続けていらっしゃいます。

灯りとともに受け継ぐ、地域の唄と心

 下津井節を未来へつなぐために、津本ゆかりさんが立ち上げたのが、地域イベント「宵灯り(よいあかり)」です。この催しは、下津井節を学んできた人たちの発表の場であると同時に、地域にあかりを灯すお祭りでもあります。単なる発表会ではなく、踊り・唄・あかりが一体となる空間を演出することで、下津井の魅力を広く発信しています。

 かつて色街として栄えた歴史を背景に、しっとりとした艶やかさを大切にした演出も特徴です。イベントの運営は、津本さんを中心に、地域の仲間たちによる実行委員会が担っています。現在、踊り手は約35名。小学生から大人まで、年齢や性別を問わず幅広い世代が参加しており、将来的には50人規模を目指しているそうです。

 また、誰もが気軽に参加できるように「宵灯りアカデミー」という体験講座も開講し、地域に開かれた文化として育てています。踊りは一見すると簡単そうに見えますが、ゆっくりとした所作だからこそ難しさがあるといいます。特に傘をかぶって踊るため、周囲を見て動きを真似ることができず、自分の身体に振りを染み込ませる必要があります。その分、踊りには自然な緊張感と美しさが生まれるのだそうです。

 津本さんの今後の目標は、下津井節を海外で唄うこと。これまで「文化では稼げない」とされてきた常識を覆し、地域にお金が巡る仕組みをつくりたいと話します。文化を「残す」のではなく、「続ける」ことを大切に、唄と踊りを通じて人と地域をつないでいきたい――その想いを胸に、津本さんは今日も“地域の言葉”としての民謡を唄い続けています。

 津本ゆかりさんのお話を聞きながら、民謡という伝統文化が決して過去のものではなく、今を生きる私たちの言葉として語り継がれていることに心を打たれました。唄や踊りの一つひとつに、地域の記憶や人々の暮らしの温もりが込められていることを感じ、「文化を守る」のではなく「文化を続ける」という津本さんの言葉に深く共感しました。

 灯りをともすように、静かに、けれど確かに広がっていく津本さんの活動は、私たちの日々の仕事や人との関わりにも通じるものがあると思います。文化が人をつなぎ、町に息を吹き込む。その姿勢に、あらためて「地域に根ざす」ということの意味と力を教えていただいたように感じました。

次回の放送もどうぞお楽しみに!