「道」という芸事を通じて学ぶもの〜「かな書道』を始めて2年。

 

2年ほど前から「かな書道」を習い始めました。

今まで、硬筆や毛筆など字を習ったこともなく、あまりにも悪筆なためコンプレックスを抱えていた私は、クライアントの社長が習いに行くというのに便乗して(以前から地元の書道教室を調べたりはしていた)、著名な書家の門下生になることに…。

実はとんでもない先生だったことに気づくのは、入ってからのこと…。

 

墨を磨ったのも、筆を持つのも、小学校以来という全くの初心者。しかも小筆を使う「かな書道」。ペン習字などの実用書道と違い、変体仮名や連綿といった独特の書き方を主体として余白や曲線の美を追求する芸事。

経緯はどうであれ、2年近くも書道に触れてきて、多くの気づきを得ることができました。

わかりやすいところからいうと、まず…

墨の香りが穏やかな気持ちにさせてくれます。

数滴の水に墨を磨る…膠と墨と香料(麝香・竜脳・梅花香など)の混じり合った独特の香り…これが精神を落ち着かせるのに一役買っているのです。
日常で起こる瑣末な出来事……囚われていること、気にかかること…影響の輪の内側のこと、影響の輪の外側であるが関心の輪の内側のこと…墨の香りは、それらの出来事を一刻ではありますが脇に置いて、気持ちを落ち着かせてくれることができます。

そして、お手本に向かい一心不乱に臨書。

集中することで心を「無」にし、頭の中を空っぽにしてくれます。

師匠のお手本に従い、その通りに書く。簡単に思えてこれほど難しいものはないのです。一筆に込められた思いは、単に筆使いを見るだけでは再現できませんし、そもそも、師匠の書を初心者の私などが、そこに込められた思いなど知る余地もありません。ただ、墨の濃さ、起筆の位置、線の太さ、止め、跳ね、などをできる限り真似る、それだけです。

しかし、それだけを真剣に、集中して行うことで、頭の中を空っぽにしてくれ、心を穏やかに整えてくれます。練習の後の私は、とても穏やかな気分です。もちろん上手くかけないという焦りはありますが…(笑)。

 

社会学の中に日本人の身体統制についての考察がありました。

日本人が異常に「型」にこだわる理由として解説されていましたが、それによると、日本社会における伝統的な「型」は単に形式のみを示す概念ではなく、日本の伝統的文化における「型」と「文の文化(能・歌舞伎・舞踊・書道・茶道)の芸道と「武の文化(剣道・柔道・弓道・空手などの武道)」などのように、身体の運動によって「心・技・体」の一致が目指される鍛錬のプロセスそのものをさしているということ。

つまり「身体」の運動を介した「技」の習得を通じて「心」を鍛えること。この一連のプロセスが日本における「型」であり、これが「道」と名がつく古来からある日本の芸事に他ならないこと。

今、私は書道という「道」を通じて心を鍛えているのだと、そう思う日々を過ごしています。上手くなる、上手くなれないはあると思いますが、心を鍛えるという意味でも、一生続けていけるように、頑張りすぎない諦めないの精神で行きたいと思います。(それだと師匠は嫌がるかもしれませんが…続けることで“何かを”捉えることができると信じていますので)。

とんでもない先生だった師匠については…後日、機会があれば投稿します…。

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